国語「ら抜き表現」… 9月11日

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話し言葉ではしょっちゅう耳にする「ら抜き言葉」
皆さんも普段から耳にし、また使っている方もいると思います。
「まだ食べられる」という意味で「まだ食べれる」とかいう、あれです。
以前、文化庁が発表した調査結果では「見れる」「出れる」などのように調査対象者の半数以上に及ぶ割合が違和感なく使用しているという結果になっていました…。
つまり現代の日本においては「ら抜き表現派」が半数以上にのぼるということです。

しかし…
国語の記述問題や作文・論文においては「ら抜き言葉」は完全にダメです。
特に中学校入試・高校入試さらには大学入試においても
「ら抜き表現」は100%間違った日本語表現として扱われます

学習者にとっては危険な表現ということになりますので、ちょっと解説しておきます。
・ら抜きとは、本来ならば「…られる」とするべきところを「ら」を表記せず「…れる」とすることを言います。
この「…られる」という表現を使う場面は、2通りあります。

①「可能」を表す場合
「…することができる」という意味で次のように使います
例 「見ることができる」→「見られる」

②「受身」を表す場合
他者からの行為を受けるという意味で、
例 「(誰かほかの人から)見られる」

「ら抜き表現」が起こるのはこのうちの①「可能」を表す場合で、②「受身」の場合は「ら」を抜いてしまうと意味が通りません。
国語の作文・記述問題などにおいては普段から「ら」が必要なものは、必ず「られる」というように表記するように気を付けてください。

可能を表す場合に「ら」が必要なのかどうかは次のように見分けることができます。
人を誘う場合や自分の決意を表す時に使う「…しよう」を思い浮かべます。
その時に不自然ではなく「…よう」がつながる場合は「ら」が必要です。
また「…よう」が不自然な場合は「ら」は必要ありません


例↓
元の形 → 「しよう」の形 → 可能の意味
食べる    食べよう     食べられる
着る      着よう       着られる
見る      見よう       見られる
切る     X切よう       切れる
(切られるは可能ではなく受身の意味)

■このように「…よう」にしてみて、違和感がある場合「ら」は必要ありませんが他は必ず「…られる」の形になります。

「ら抜き言葉」のように私たちの日常生活において間違った表現(あくまでも国文法上)が自然に浸透してしまっているような場合、意識して注意していかないとせっかく良い内容の解答が書けていたとしても減点される結果になってしまいます。

繰り返します、「ら抜き表現」が国語という教科内において正解とされることはありません。

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しかせん

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しか先は…
東京都青梅市に生まれ育ちました。
高校卒業と同時に地元を離れ海上保安庁に奉職。
海上保安大学校を経て
海上保安官として数年間、領海警備・海難救助の現場にいました。
PL109「しきね」航海士を最後に退官、以後地元青梅に戻っております。

いまは東京都青梅市の
小さな学習塾「純友学院・千ヶ瀬校」にいます。
時々…、
青梅2中の放課後学習にも出没します。
担当教科は英語・国語・社会と学習術
ここでは、教室内での雑感を主に書き残して行こうと思います。

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